デリー編

ラルキラーのバクシーシ少年
 リクシャーは順調に走り続け目的地のラルキラーの前で降ろされた。
ラルキラーは外から見るとものすごく巨大な城壁で囲まれていた。
巨大な敷地なので入り口まで行くのにも結構時間がかかりそうだった。
そこに向かって歩いていると小さな子供が一人僕の近くに擦り寄ってきた。
そう、インド名物「バクシーシ」である。
物乞いである彼らはインドのいたるところで目にする。
それも子供ばかりではなく老人や子を持つ母親など社会的な弱者が多いようだった。
旅全体でも健康体の大人のバクシーシはついぞ見ることがなかった。
日本のホームレスなどとは根本的に違うのだ。
この男の子もまだ幼く5〜6才に見えた。
その子は無視して去ろうとする僕にしつこくまとわり付いてきて車の往来が激しい道路を渡るときも追いかけてきてヒヤッとした。
困ったものだ。

 しかし、そうして無視する僕にはどんどん罪悪感が募ってきていた。
こんな小さな子供が必死に笑顔を浮かべてついて来てごらんなさい、黙って無視するのがどれだけ辛いか。
しかも、よく見てみるとそのあどけない笑顔がめちゃめちゃかわいいのだ。
遂に僕は我慢しきれなくなってカメラを取り出しその子を写真に撮った。
そしてそのお礼というつもりで50パイサだけあげてその場を後にした。
たった50パイサだったがその子の喜びようは凄かった。
その笑顔を見て僕は無視する辛さから解放されてほっとすると同時に本当にやってよかったのか悩んでしまうのだった。
一度あげるとキリがないという。
そして、何より子供だと物乞いを覚えてしまうと自立するのが遅れてしまうのではないかと思うのだ。
難しい問題である。

 しかし、僕は道端にいるバクシーシにお金をあげるインド人を何度も見ている。
インド人にとって富める者が貧しいものに与えるのは当たり前のことなのだ。
彼らは社会的に生活を保障されていない。そのかわり道行く人が彼らに自分の分け前を与えることで「生かされている」のだ。
そう、人に限らず牛や犬、全ての生き物がインドでは生かされている。そう思った。
日本から来た人はそれをインドの精神的豊かさと見てとるのかもしれない。

 足早に去る僕がふと後ろを振り返るとさっきの子がまだついてきていて、さらにもう一人別の男の子が増えていた。
二人ともものすごい素敵な笑顔だった。
あの笑顔が無ければそのときはお金をあげなかったかもしれない。
そして日本の子供とは比べようも無いくらいたくましい。

カメラを構えるとちょっと固まったみたい。本当はもっとかわいいのです。


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