ジャイプル編

バナラシへの長い列車の旅
 次の日僕はブライアンに別れを告げバラナシに向かう列車に乗るため駅に向かった。
ブライアンは次はゴアに向かうという。
本当はせっかく友達になったのだしブライアンと一緒にゴアに行ってみようかと思ったのだが止めておいた。
南インドを回るには少し時間が足りないのもあるし、なによりこれは一人旅だ。このままだといつもブライアンに頼ってしまうかもしれない。自分の道は自分一人しか歩けないと思う。
彼が僕のノートに書いたメールアドレスには漢字で名前が記されている。
「武雷庵」
誰に教わったんだか。漢字ブームのせいか。

 さて、駅に着いてしばらく待った後無事に列車に乗った。
到着予定の2番ホームでには来なく実は3番ホームに来ていたときは焦ったがなんとかなった。
車両は今回も二等寝台だ。
座席の向かいには30〜40歳位の男、通路反対側には家族連れが座っていた。
しばらく僕は一人静かに本を読んでいたのだが、家族連れの父親が口火を切った。
インド人はいつも我々に興味津々なのである。
彼とその娘と向かいに座っていた男の四人で会話が始まった。と言うかむしろ質問攻めである。
矢継ぎ早に質問してくるのでこちらは休む暇がなかった。
「学生か?」
「ハイ、大学生です。」
「日本の大学はどういう仕組みになってるんだい?」
仕組みってどういうことだろう?
「大学と大学院があるでしょう。」
大学院??
「だから、学校っていうのは小学校、中学校、高校、大学、その次に大学院じゃないの?」
ああそうか、でもまさかインド人に大学院のことを質問されるとは思わなかった。
僕は院生であるにもかかわらず大学院が英語でなんと言うかすら知らなかったのだ。
「そうだ、僕は大学院生です」
その後一通りの質問が終わり今度は父親が娘に日本語を教えてほしいと言い出した。
そこで僕はにわか日本語教師にさせられてしまった。
「こんにちは」「本」「父」「娘」etc……際限がなかった。
こちらが疲れた様子を見せても全く気にする様子がない。
何より彼らが話す英語を理解するのに苦労した。
ちょっといつまでこれを続けるんだい?
インド人は遠慮と言うものを知らないのか?

「CMSって知ってる?」
娘が言った。
「知らない。」
「うちの娘はそこに通っているんだよ。」
どうやら娘はCMSという学校の生徒らしい。
後で調べて分かったがCMS(City Montessori School)とは小中高を合わせた23000人もの人が通うとても大きな私立学校で、ラックノウ市にある。
ラックノウは大体ジャイプルとバナラシとの中間地点にあってこの家族連れが降りる場所だった。
CMSがどんな学校かは知らないがこの娘はとても勉強熱心であることはよく分かった。
父親もかなりの教育パパで父親が日本語の単語を一つ聞きだすと
「おい、今の聞いたか?メモしておきなさい」と言って書くものを探し、娘は雑誌を見つけると裏の空白部分に次々と書いていった。
僕もこのぐらい勉強熱心ならきっと東大にも入れたのに・・・なんちゃって。
僕は「勤勉」と言う英単語を彼女に教えてあげた。
と言っても僕自身も知らなかったので辞書を引いたのだが。
「You are diligent」
彼女は覚えてくれただろうか?

そんな感じで夜もどんどん更けてゆき皆が寝る時間になると僕はもう寝ると言って座席を倒して横になった。
会話にはとても疲れたが不思議と不快ではなかった。
こんなにインド人と濃厚なやり取りをしたのは初めてだったからかもしれない。
押しが強くて時々うんざりすることもあるインド人だけれどもこういうもの悪くないと思った。
これに比べ日本では何と薄いコミュニケーションの仕方をしていたのだろう。
日本人は微妙な表情や主張から相手の気分を読み取ることに慣れすぎているのだ。
僕もそうだった。
他人を気にして言いたいことも言えなかった。
でもインドではそういったものは全く無用なのだ。
人々はあまりにあからさまで、ストレートで、ありのまま。
言いたいことを言い、したいことをする。
子供の目は明るくて、世の中は単純だった。
僕の頭は複雑すぎる日本の社会の中で過敏になりすぎていたのかもしれない。
インド人のストレートな生き方はむしろ気味が良いと思うようになった。
それはつまり僕が徐々にインドに適応していっているという印でもあった。
娘が質問したことを思い出した。
「インドの印象はどうですか。」
僕はこう答えた。
「ENERGETIC!!」
インドの印象はインド人そのものの印象だ。


中央二人がその父娘。僕はざくろの食べ方を教えてもらいました。


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