カルカッタ編

YMCAにて
 2時ごろカーリー寺院から戻ると約束どおりラジュは現れた。
彼はどこかでチャイでも飲んで話をしようと僕を誘ってきたが、丁度そのとき目の前にYMCAが見えてきたので、僕はYMCAに用があることを思い出した。
一度YMCAというものに泊まってみたかったのだ。
僕がYMCAの前で立ち止まり、僕が明日か明後日ここに泊まるつもりだと告げると、ラジュは
「オレも今ここに泊まってるんだ。ここのレストランでお茶でも飲んで行こうか。」
と言ってきた。
嘘くせえ。
僕が
「それじゃあ、どんな部屋か見てみたいんだよね。君の部屋を見せてくれない?」
と切り返した。すると、今はダメだという。
「そこは兄が借りた部屋で、兄は今出かけているから戻ってくるまで入れないんだ。」
と言った。
ほらね。しかし、奴の立ち居振る舞いは慣れたもので、このYMCAのレストランも何度か来たことがあるように見えた。
僕らはチャイを飲みながら雑談した。
少し話してすぐ分かったが、どうやら彼は虚言癖らしい。
彼の話にはおかしな所がいくつか出てきた。
始め自分はヒンディストだと言っていたのが、いつの間にかブッディストに変わっていて、僕がそれを指摘してやると、ラジュは
「それはね、僕の父親がブッディストで、母親がヒンディストだからだよ。」
と言い放った。
いかにもとってつけたような答えではないか。
突っついてやるとどんどん話が破綻していくかもしれない。

ラジュの目的はおそらくこのあとどこかに連れて行くことなのだと思う。
僕はもっと彼のことを知りたかったのでとことん付き合う気でいた。
しばらく話していると隣のテーブルにいた別のインド人青年と日本人の女の子が話に加わってきた。
その青年は日本語が堪能で、日本語でジョークまでかますナイスガイだった。
彼があまりによくしゃべるので急にラジュは黙ってしまった。
いかにも、「余計な邪魔が入った」というような苦い顔であった。
それから、日本人の女の子。
彼女は今マザーハウスでボランティアをしていると言う。
おとなしくて、瞳が驚くほど綺麗な子だった。(彼女とはこの後も会うことになるのであった。)
僕たちはそのインド人の青年を中心にわいわいと雑談をしていた。
彼らには僕がラジュと付き合っている意図は分からないと思った。
ただの友達に見えたのではないかと思う。

 彼らが去った後少しして、僕らも解散した。
と言ってもまたすぐ会うことになる。
夕方5時にはラジュの兄が帰ってくるので一緒に食事でもしようということになった。
5時になり僕は約束どおりリンセイ通りで待ち合わせした。
通りに入るとラジュはすぐ僕の姿を見つけて近寄ってきた。
そこには兄の姿もある。
兄弟にしてはちっとも似ていない。
僕は彼らに案内されてニューマーケット(*17)の入り組んだ路地の奥に連れて行かれた。
僕は警戒していた。
いよいよか、この先どんな危険が待っているのだろう?
下手したら脅されるかもしれない。
しかし、僕の考えははずれ、意外にも普通のレストランに辿り着いた。
僕の思い違いなのだろうか?袋小路に連れて行って銃で脅したりしないのだろうか?
僕はペプシを飲みながら彼らと話をした。
ラジュの兄はバラナシで猟師をしているらしい。
そういう当たり障りのない話が終わると、僕はラジュの兄に質問した。
「YMCAの部屋を見てみたいんだけど・・・。」
我ながらしつこい。
すると彼は「それはだめだ、もうチェックアウトしちゃったんだ。」
「それじゃあ、今日はどこに泊まるの?」
「友達の家だよ。」
「初めから友達の所に泊まればよかったのに。」
「そりゃ、向こうにも都合があるからね。」
「へえ、そうなんだ。」
会話はそこで途切れたがここで僕は彼らが嘘を言っていると確信した。
なぜなら、さっき僕がYMCAでラジュと話したときはまだチェックアウトしていなくて、そのときはもう3時半だったからだ。
普通、ホテルのチェックアウトの時間は10時から12時だ。
3時半以降にチェックアウトしたとなれば一日分の宿泊費を丸損してしまうのではないか?
実際YMCAの料金体系がどうなのか知らないが、不自然だと思うのが普通であろう。
それから、
僕がまた思いつきで、「せっかくだから写真を撮ろうか?」と言ったときだ。
なにか後ろめたい事があるなら彼らは写真に写りたがらないに違いない。
果たして彼らは慌ててそれを制した。
「友達でしょ?」
「僕らの宗教では写真はダメなんだ。」
ふーん。
というわけで、僕は初めから全く彼らを信用してなかったのだが、付き合いをやめようとは思わなかった。
僕はまだ何も見ていない。
彼らが本当にしたいことはなんなのか?
もっと彼らが知りたかった。
それが分かるまで僕は引き下がれない。
とにかく、まだ僕は彼らと食事をしただけだったのだ。

 僕は6時からヘギョンと夕食の約束があったので、彼らと別れる事にした。
説明すると彼らはヘギョンが僕の恋人かなんかだと誤解してニヤニヤしていた。
ただの友達と言っておいたが、どうも伝わっていないようだ。
まあ、どっちみち彼らにとってはまた僕に会えればいいようなので、また明日会う約束を取り付けた。

 6時、僕はヘギョンと夕食を食べながらさっきまでの事を話した。
「気をつけてね。」
ヘギョンは少し心配そうにそう言った。
それから、ヘギョンからマザーハウスのボランティア話を聞いたりした。
僕はさっきYMCAで会った女の子を思い出していた。
行けば彼女にまた会えるかな?
妙に気になる子だった。
ボランティアにも興味はあるし、彼女とは一度じっくり話してみたい。

絶対何かある。
その何かはよく分からないけれど、僕が知らなければいけない何かを彼女が持っている。そんな気がしたのだった。
よし、明日はマザーハウスだ。


(*17)ニューマーケット:サダルストリートから近い場所にあるショッピングセンター。 外国人がお土産を買うスポットにもなっているためか、やたら客引きが多い。


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