バラナシ編

ガンガー
 12月21日。今日で旅を始めて丁度二週間目だ。
僕は朝早くガンジス川を見に行った。
昨日ホテルの従業員にボートに乗ってみないかと誘われたからだ。
日の出前なのであたりは薄暗く、昼間と比べると不気味なほどひっそりとしている。
ガート(*9)にはボート漕ぎの男が何人かいてそのうちの一つに乗った。
下流に向かって漕ぎ出す。
少し遠くのガートには大きなスピーカーが設置してあってそこから狂人のような男の声がガンジス川全体に響き渡っていた。
そういえば朝はあのキチガイみたいな声で起こされたんだっけ。

遠く対岸の砂浜では徐々に光の帯が膨らんできており、こっち側のガートには月が沈もうとしている。
見事なまでの満月だった。
僕は身を乗り出して水面を見てみた。
死体こそ見なかったが油や火葬した後であろう灰がたくさん浮かんでいた。
対岸が柔らかな光を増してきているのに比べその水の色は漆黒だった。
汚いと言うよりはむしろ死や絶望を意識させる悪意のこもった色、とでも言おうか。
こんなところではとても泳げない。
引きずり込まれそうなくらい深い闇の色だ。
「三途の川かも。」そう思った。
勝手な想像だが日本で言う三途の川とはもとはガンジス川のことかもしれない。
こっち側が現世で向こう側が彼岸。
一度渡ったら戻れない。
確かに対岸はヒンズー教徒にとって不浄の地とされるだけあって人間の生活している痕跡が何一つない。
ただの砂地が広がっているだけだ。
そしてその奥の森には浮浪者や強盗が徘徊していると言う。
対岸は現実にも黄泉の国なのかもしれない。
ちょっと前にガンガーを泳いで渡ろうとして溺れて死んだ日本人がいるという事を聞いた。
まさか死ぬなんてその人も思わなかったろう。
そのくらいここでは死はあっけなく訪れる。
聖なる河ガンジス。
人は毎日ここで死ぬために訪れ、そして死んでいく。
死はここではありふれていて死は生活の一部だった。
それは泳いで渡ろうとした日本人にとっても例外ではなかったのだろう。

 ふとこちらに近付いてくるボートに気がついた。
そのボートの男は小さな紙の皿を僕にくれた。
皿には蝋燭が乗っていてそれに火をつけて流して祈るのだと言う。
いわゆる灯篭流しか。言われたとおり僕も二つほど流してみた。
綺麗だ。
しかし案の定と言うかその男は「50Rsだ」と言ってお金を要求してきた。
僕はふざけるなと言ってそのボートを手で押しやった。
するとそいつは「じゃあ、いくらだ。」と返してきたので5Rs だけ与えてボートを押しやり追い出した。
しかしよくよく考えると金をやるいわれなど全くなかったことに気付いた。
5Rsでも高いくらいだ。
「あいつは悪い奴だから。」船頭が言った。
僕は笑ってしまった。
お前が言うなよ、仲間のくせに。

ボートが帰る頃にはだいぶ明るくなっていた。
しかし太陽は汚い空気のせいでいつまでたっても形を現さなかった。
水の色はさっきまでの漆黒が混濁した茶色に変わりつつあった。


満月とガート。朝のガートは独特の雰囲気がある。

(*9)ガート:岸辺から階段になって河水に水没している堰のこと。沐浴や火葬に使われ、有名なガートは毎日多くの人で賑わっている。また人々の生活の場でもあり体を洗ったり洗濯したりする光景をよく目にした。


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