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<黄海の真ん中で船が故障>(更新日2006.10.12)
いやはや、旅の始まりからこれだから幸先が悪い。
でもこんな経験はなかなかできるもんじゃない。いい経験をしたかも。
船が故障して神戸→天津2泊3日の船旅が5泊6日になってしまったのだ。
12月16日
出航。
船に乗り込み自分の部屋に行くと隣にはバックパッカーの青年がいる。僕はそう、もちろん一番安い2等の大部屋で中国まで行くのだ。
他は中国人が8人ほどだったが大部屋は半分ぐらいしかスペースを使ってなかったのでゆったりと場所をとれた。
大部屋にはテレビが置いてあり、映画を随時流していた。音声は中国語。
なんとなく見ていたらハリーポッターが始まった。炎のゴブレットだった。
あれ?炎のゴブレットってまだ公開前じゃなかったっけ???
ま、いいか中国だし・・・。
特にすることがないので昼寝しているといきなり「ガガガ!」と物凄い音がして船の動きが止まった。
アナウンスによるとメインエンジンが故障したらしい。おいおい、まだ瀬戸内海じゃないか・・・。
到着は一日遅れるらしい。やれやれだぜ。
12月17日
朝起きて外を見たら大きな橋が見えた。
これは瀬戸内海にかかる二番目の橋だろう。名前忘れたけど。
つまり昨日からほとんど進んでいないってことだ。
この日はまた何度も船が止まり、結局1日と6時間送れるということになった。
夜になってバックパッカーの中島君がもう一人の日本人と話していた。
芥川さんと言って仕事がらみで中国に渡るらしい。
彼は中国に詳しかったのでいろいろ教えてもらった。僕がりんご農家だということを話すと、
煙台というところがりんごの産地だよということを教えてくれた。
中国のりんご・・・船内のレストランで出される中国産のりんごはちっちゃくて色も悪く殆ど手がかけられていないシロモノだ。
中国人、特に農民には見た目とか大きさとかそういう付加価値とは縁遠いのかもしれない。
僕はちょっと興味がわいたので煙台に行ってみることにした。
この日の夜は船内のスナックでカラオケをやった。驚いたことにそこにいた中国人はすこぶる歌がうまかった。僕も得意のスピッツもまるでお呼びでないかのようだ。
12月18日
猛烈な揺れで目が覚めた。気持ち悪い。
少しでも起き上がると吐きそうになる。なので昼頃まで寝ていた。
昼過ぎになると天候が回復し揺れも収まった。対馬の近くを進んでいるらしく、携帯の電波が3本!
皆暇を持て余しているらしい。
12月19日
天気はよく海は完全に凪。
しかし、また船が止まった。黄海の真っ只中だ。
昼頃にVCDを受付のおねえさんから借りてリングとらせんを見た。
そして昼過ぎまた船のエンジンがかかったと思ったら物凄い量の煙が煙突から立ち上がった。
いやーな臭いが蔓延する。尋常じゃない。
そして、到着がまた一日延期すると発表された。
立ち昇る煙
この日、日本人がもう一人乗っていることが分かった。フルエさんと言って天津でレストランを経営していて今では2店舗のオーナーシェフ。彼はこの船をもう10回以上使っているがこんなことは初めてだと言う。
また、この船に15年乗っている乗務員もこんな経験は初めてだと言った。
はい、つまり、僕らは相当運が悪いということですね。
そして夜になり、乗務員がなにやら甲板で作業しているので見に行ってみると・・・・・・。
その乗務員が
救命ボートの点検をしてる!!!
これは・・・僕らは無事にたどり着けないかも知れない・・・。
これが救命ボート
12月20日
朝3時頃起きると船はまだ止まっていた。
そして、朝5時ごろのなにやら試運転のようなガーン!ガーン!ガーン!という轟音にたたき起こされる。ものすごい音。まだ寝ていたいのに・・・。しかし作業のおかげか船はまた進みだした。
日中、僕は中島君と京都在住の中国人の一人と卓球室で卓球をして暇をつぶした。中国人は皆卓球がうまいわけではないらしいことが分かった。
夜になると陸地の明かりが船上から見えてきた。ようやく中国に着いたのだ!
この日は夜遅くの入港なので下船は明日になるようだ。
結局3日遅れだ。フルエさんはこれはあまりに酷いと言うことで全員の署名を集めて運賃の返還要求をすると言い出した。
フルエさんによると船会社が返還要求応じる可能性は低いが、誠実な反応が無いときは抗議のメールを送るらしい。それぐらいはしておかないと腹の虫が収まらないと。
さすが、社長だ。頼もしい。
そりゃそうだよな、3日で着く予定が6日もかかっちゃうなんてあんまりだし、それが悪天候とかではなく船の整備不良に原因があるのなら少しぐらいお金返してくれてもいーんじゃねえの?
レストランの食事券500円分だけじゃたりねえんじゃ!!!
しかもレストランの飯が異常に高いから500円分だとおかずが食えねえんじゃ!!!!
・・・お詫びに食事券くれるとか言って、おかずが食えないってどういう事それ?
この晩は中国人、日本人入り混じっていろんな話をした。
12月21日
この日も物凄い轟音で目が覚めた。
船は港に着いており、無事船から降りることが出来た。
なんだかんだ言っても、降りるときはちょっと寂しい。
僕と中島君をフルエさんが天津市内まで連れて行ってくれることになった。他は皆バラバラ。
せっかく仲良くなった中国人たちともここでお別れだ。思えばこのトラブルがあったからこそこれだけ仲良くなれたのかもしれない。
で、結局、船会社からは何ももらえなかったわけだが、無事着いた安堵感でそんなことは忘れてしいまっていたよ。
記念に一枚
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