ミャンマー旅行記

<英語の先生になる>更新日2005.8.14
ピイという町での話。
僕はその日飲み屋でもう一人の日本人パッカーと飲んでいた。 そうしたら近くの席にいた老人と若い男二人が流暢な英語で話しかけてきた。 アルコールのおかげで彼らはいたって上機嫌。 聞いてみればその老人は英語の先生で若者二人はその教え子だという。 だから彼らは外国人と話したくてウズウズしてるわけだ。
少し話して彼らは去っていった。


次の日、その飲み屋の前を通りかかるとまた彼らは飲んでいて、そして僕に気付いて声をかけてきた。
おお、偶然だね。折角だからと僕も一緒に飲むことにした。
「今日は一人かい?昨日いたもう一人の日本人はあまり英語が分からない感じだったけど、君は結構話せるね。」と老人は言った。
「あはは、とんでもない。僕も全然ですよ。」

実際僕の英語は全く自慢できない。彼らの話も半分程も聞き取れない感じだ。
しかし、そんな僕に若者の一人が英語の先生をやってみないかと誘ってきた。
「僕も英語を人に教えているんだけど、明日そこに来てみないか?」

(!僕が英語を教えるって!?とても人に教えられるレベルじゃないけど、面白そうだから行ってみよう。)
彼らにとっては外国人と話せる機会なんてそんなにないだろう。だからチャンスがあればやった方がいいし、僕も一日でも先生になれるのなんてそんなにないだろう。

ということで次の日、僕は英語を教えに彼のいるところに行った。
そこは彼の自宅だった。
木造のすごく質素な作りで床は土間。
そこに黒板と椅子と机が置いてあり、生徒が二人座っていた。
見た感じ生徒は僕と同じぐらいの歳で、先生よりも若く見えた。

彼らと出会ったのはある飲み屋で別の日本人と二人で飲んでいたときだった。
隣の席から流暢な英語で老人が話しかけてきた。
その脇には若い男が二人いて、まるで水戸黄門みたいな妙な組み合わせだった。
アルコールのおかげか彼らはいたってごきげんだった。
話を聞くと若い男達にとってその老人は「先生」だという。
英語を教えているらしい。
なるほど、先生と生徒か。

次の日夜、一人で町をぶらぶら歩いていると今度はその生徒の一人が偶然僕を見つけ声をかけてきた。
「先生がそこにいるから一緒に飲もうよ。」
その日も彼らは飲んでいた。
先生はひたすらしゃべる、彼は昔の話を聞かせてくれた。
彼が子供の頃、ミャンマーには日本軍が侵攻しており沢山の日本人を見たという。
また終戦後、英国軍を追い出したボージョーアウンサン将軍(*注)を誇らしく語っていた。
そして、スーチー女史に話が及ぶと彼女を軟禁している軍事政権をこき下ろした。
あまり大きな声で政府の悪口を言うもんだから僕は周りを気にしだした。
そう、ミャンマーには言論の自由がないはずだ。
下手に軍事政権の悪口を言えば逮捕されたりしないだろうか?
そんな僕の考えを見透かしたかのように先生は言った。 「気にするな、みんな今の政府はよくないと思っているんだから。みんな仲間さ。」



*注:ボージョーアウンサン将軍
ビルマ独立運動の指導者。娘はミャンマーの民主化運動で有名なアウンサンスーチー女史。1947年に暗殺される。


なるほど、
彼らが僕らに興味を持ったのは僕達が外国人であるからだろう。
僕達と話すことで英語の練習になるし、少しでも外国のことを知りたいというわけだ。
恵まれた環境の日本人と違って彼らの勉強に対する意欲はすごい。
彼らの目は



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